長岡花火を初めて見たのは新潟県中越地震のあった翌年でした。

震災の時、私は長岡のオフィスビルで仕事をしていて大きな揺れが

突然襲ってきたのを覚えています。

このままビルが倒れて死んでしまうのではないか、などと考えたものです。

その後も余震が続いたり、コンビニのガラスが割れていたりそれはもう

凄い光景でした。

知り合いが避難所で過ごしていたのでお見舞いに行ったり、

その道中の道路のでこぼこやら電柱が大きく傾いていたり、標識が倒れていたり

それはもうひどいものでした。

そんな光景を日々見つつ工事車両も増えてきて段々と「復興」という言葉が

当たり前になり、力を合わせた「復興」が始まり、動くのを見ていました。

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長岡花火物語の感想は?

 

そして、初めての長岡花火の8月。

長岡に来て初めての長岡花火。

たいして興味も無かったのに長岡花火が見える場所にアパートを借りて

住んでいました。

 

「大人になって花火見てもなぁ・・・」

 

なんて思っていたので、家にこもっていましたが外に花火の音が響き

人々の行き交う音が聞こえたので、この盛り上がりの雰囲気に入っておこう

と思って外をぶらぶら。

 

近くにコンビニにビールとつまみを買って近くにあった駐車場に

一人で腰掛けて花火を見ていました。

 

いや~、もう路駐はしまくりだしお店の駐車場は私含めて一般の人が

入ってシートを引いたり、立ち見したり様々でした。

これは今も変わらないでしょう。

 

長岡花火のフェニックスはどう?

 

私はそもそも「フェニックス」の存在を見るまで知りませんでした。

誤解を恐れずに言うなら「復興」という度を超えた盛り上がりにはしらけて

見ていたりもしたので、そこに関連付いたものまで興味をもつことは

ありませんでした。

 

ビール片手に花火を見ていてそろそろ時間も終わりにさしかかってきて

「まあ、こんなものかな」

と思っていたときにそろそろ最後の花火が終わったかなと思ったので

立ち上がって歩き始めました。

 

遠くにアナウンスが聞こえていました。

「復興」という言葉が聞こえたような聞こえないような。

 

「あー、終わりの挨拶かな」

 

そう思って歩いていた矢先にものすごい爆音とともに花火が

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打ち上がりました。

 

えっ?

 

今まで花火は1つの方向に向かって見ていました。

 

それが・・・

 

1つの方向ではなく左右に広がって花火が打ち上がっている。

視界に入りきらないくらい。

 

なに?

これは?

 

「復興って聞こえたな・・・」

 

「これがフェニックスか!」

 

我を忘れる、ってこういうことかと思いました。

私は空を見上げながら立ち止まり、

右手にビールをもったまま動けませんでした。

その迫力に・・・

 

そして、

 

「えっ?涙が?花火を見て涙がでるの??」

 

初めてです。

花火を見て涙が出たのは。

 

周りにいた多くの人も同じように微動だにせずに見ていました。

それまでは騒ぎながら見ていた人がその迫力に

一言も言葉を発しない、発せない。

誰かがつぶやきました。

 

「フェニックス・・・すごいね」

 

私はこの花火が「フェニックス」だと知りました。

あの震災から今日に至るまでの「復興」の場面が次々と脳裏に

よぎっていきます。

その花火に込められた想いと重なりさらに涙が・・・。

 

その翌日もフェニックスは打ち上げられました。

それからは毎年打ち上げられています。

 

平原綾香のあの曲が良いかはさておき。

1番最初のフェニックスはそんな曲がかかることもなく

復興の想いが空一面に打ち上げられました。

 

長岡花火のフェニックスは今年で最後?

 

その後何度かフェニックスを見ていますが、最初の感動はありません。

これは変な意味ではなく

 

「初めてのフェニックス」

 

このインパクトを超えるものは無い、ということです。

1度見て感動を味わっている人、リピートしてください。

最初ほどの感動は味わえないでしょうがゆっくりと観光も楽しんでください。

そして、フェニックスをまだ見たことのないかた、

お金をかけてでも見る価値はあります。

時間にしてほんの数分ですが、後悔はしません。

そして、フェニックスの地である長岡の観光をしてくださいね。

 

あっ、宿泊はツアーなどの予約しないと厳しいので

予約するか、または新潟市に宿泊しましょう。

 

長岡花火は8月2日、3日。

フェニックスを1度は見ましょう!

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